師匠との再会、そしていつもの El Trovatore ~アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)

アリゾナ州キングマン、この西カリフォルニア州への玄関口としてルート66上でも重要な位置付けとなる街に来るといつも必ず行うのは、
① 博物館訪問
② 「いつもの」モーテルに泊まる
③ 師、Jim Hinckley 氏に会う、の 3つだ。

ただし今回は時間的制約がかなりあり、博物館への訪問は出来なかったが、師匠は変わらず心優しく出迎えてくれた。前回会ったときは日本滞在中の 2018年春だから、まさに 4年ぶりとなるわけだが、何度も言うように SNSでほぼ毎日、ルート66の友人誰かとチャットしたりポストしあったりしていると時間の経過は本当にあやふやになるね。

一緒に食事をする際は毎回違う場所を選ぶのだが、今回も奥様の Judy を交えアメリカン・ステーキの店、「DANBAR」へ。
久しぶりにやっと会えた嬉しさに、あまりにも会話に熱中したからか、プレートの写真を撮ることをすっかり忘れてしまったが、店員さんに頼んだのがこの 2枚のみ 😂 困ったものである。

作家であり歴史家である Jim は最近殊の外精力的に活動しているようで、州外のカンファレンスにも以前に比べると足を運ぶようになり、執筆活動も絶好調。彼の最新刊の一つをサイン入りで頂戴してしまった。

本当はお土産屋さんもそうなんだけど、しっかり買って経済活動に貢献したい気いっぱいなのだが、優しい皆さんから貰ってしまうものも多く、こんな私でも実は恐縮しているのだ。

Jim と言えば、この春、彼の像が博物館近くの鉄道基地に設置されたことを書かないわけにはいかない。街(ダウンタウン)の活性化のために活動する、ボランティア・チームである、Kingman Main Street によって、Jim の長年に渡る街と文化への貢献に対し、Jim そっくりの?等身大のブロンズ像が奉納された。ツアーガイドとして多くの観光客を楽しませてきた、インタラクティブなダウンタウン・ウォーキングツアーの最初のストップ地として今後は利用されるようだ。

残念ながらこの日の再会はそのイベント日より 2週ほど前なので、その式典に出ることも出来なかった上に、今日現在まだその像を拝観していないのだが、逆にその前にご本にどういう気持ちなのか、素直な話を聞くことができた。その時の言葉は、心底謙虚に名誉な気持ちと同時に「超現実的」で「奇妙」だとのこと。
銅像というのは通常亡くなってから建つものだという認識があったので、まだ生きてるうちに・・・💦と、苦笑いの顔が中々キュートであった。

さて、夕食後、やっとモーテルにチェックイン。フロントオフィスの真ん中に鎮座する、オーナーの Sam も変わらず元気そうだ。奥様 Monica の姿が見えなかったが、もう夜なので気を遣わせても何だから聞かずにおいたが、Sam の皮肉たっぷりの長話に付き合っていたら「ところでお前暫く見なかったな、向いにでも泊まってたのか?」って言うから「まさかっ!コロナで日本に幽閉されてたんだよ~」と答えると、「おお、日本にいたのか?」と全く以前の人の話は聞いちゃいない 😂こういう緩いところが気持ちが良いんだけどね。

残念だったのはトレードマークともいえる、モーテル名の入ったネオンタワーが故障中で、修理費の工面に苦労しているので再開の目途は立っていないこと。いつもよりコートヤードが暗く物が悲しい・・・😭

El Trovatore モーテルの特徴の一つ目は、全ての部屋がテーマ毎にペイントされていること。今回お世話になるのは、109 号室「James Dean」である。取り分け彼のファンではないが、毎回違う部屋に泊まり全てを経験する、というのも旅の醍醐味。

毎度のことながら小ざっぱりと綺麗で快適である。シャワーを浴びた後は、洗濯ものをこのように部屋の前のチェアーにかけておくと朝には乾くという運びだ。ルート66旅に ダイソーの 100円物干しは欠かせない。

そして陽のあたるところでお見せしたかったので朝まで待った、このモーテルの特徴の二つ目がこれ。建物の壁にずーーーっと描かれた「World’s Longest Route 66 Map」だ。

毎度出発の朝は早いので、チェックアウト時に彼らに会うことはない。部屋の鍵を指定の場所に返却し(デジタルカードキーじゃないところが良いのだ)、入口に貼ってもらっているルート66ジャパン・アソシエーションのステッカーを確認するのがお約束のルーティンである。

さあ!これでいよいよ今回の旅の終了地点であるカリフォルニアへ!
ルート66の旅は今日も続く。

アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)了

【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.19:冬休みに訪れる歴史と芸術の街

久しぶりにカリフォルニアの力お届けする今月のお話は、独断と偏見満載の真冬の旅行といえば?の筆頭候補地、ニューメキシコ州サンタフェ。
サンタフェの街がスキー・リゾート地だと知っている方は少ないのではなかろうか。偉そうにかく言う私も住んでみるまで知らなかったけど 😂

ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の11月は、100年以上の歴史と文化、ニューヨークに続く芸術の街、サンタフェを冬に旅するお話です。記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/890/890.pdf

フラッグスタッフのケルシュ・ビールで乾杯~アリゾナ・ルート66 小旅行(中編)

今回のアリゾナ・ルート66は出来ればジャックラビットまで行きたかったんだよね。久しく会っていないトレーディング・ポストの CINDY と ANTONIO に挨拶したかったんだけど、どうもそれは時間が許さないようだ。1日が24時間なのがうらめしい 😂
それに新しく SNS で繋がったウィンスローの街にある、EARL’s MOTOR COURT を経営する ANGELAにも会いたかったんだけど、まあ仕方ない。
次回の楽しみととっておこう。

ということで、今日の限界地点をフラッグスタッフに設定。つまりは大好きなご贔屓ご当地ビールの、Mother Road Brewing Co. には行っておくということになるわけだ。

「マザー・ロード・ブリューイング・カンパニー」は、アリゾナ州で3番目に大きな独立系クラフトビールメーカーで、2011年にフラッグスタッフで設立された当時から訪れるたびに通っている、自称常連さん。
最初にこの ↓ ラベルデザインを見て以来すっかり虜になったわけだが、残念なことに彼らの主力商品は IPA。

日本人はどうやら IPA が好きなビールファンが多いようだが、はっきり言って私は苦手だ。最初は何とか好きになろうと努力したのだが・・💦
今は普通の?エールも提供し始めて、KOLSCH と呼ばれるタイプも出てきたことは最高に嬉しい。

ちょっとだけその「ケルシュ」の話をさせて貰えば、ケルシュはドイツのケルンという街の発祥のビールスタイルで、麦わら色の明るく澄んだ色調が特徴である。1997年以降は、このケルシュという言葉は欧州連合内で地理的表示として保護されているようで(ワインのようだ)ケルン市から 50㌔以内で、ケルン醸造協会の会員が定義する内容に従って醸造されたものをそう呼ぶとのことだ。

私がこの「ケルシュ」を初めて認識したのが 1988年、当時はまだドイツが東西に分かれていた頃に遡る。学生だった私はドイツで行われたサッカーの国際大会に友人らと旅行し、そこで飲んだのが、これ、Ganser Kolsch という名のビールで、世の中にこんなに美味しいビールが存在するのかと度肝を抜かれたことを今でも鮮明に覚えている。

ビールの話で始まったが、店のオープンは何と 14時。酒場であれば普通か。ということで開店までダウンタウンで時間を潰すことにした。

現在のビジネスループ40 と呼ばれる、旧ルート66と、サンフランシスコ通りの交差点。ダウンタウン・フラッグスタッフと称される地区で、その通りと平行に走る レノックス、ビーバー通り界隈が、バーやレストラン等が並ぶもっとも賑やかなエリアだ。

このダウンタウンの南側には街の歴史とは切っても切れない関係にある、アムトラック駅が鎮座する。1926年に「アチソン・トピカ・サンタフェ鉄道」が建設されて以来、この駅舎は重要な役割を担っている。チューダー・リバイバル様式のレンガ造りで、切妻屋根を持つこの建物は、鉄道の技術スタッフの一人が設計したものらしい。この駅舎は、歴史的に最も貨物・旅客の往来が激しい鉄道の通路のひとつ、とのことで、駅舎はフラッグスタッフ市のビジター・センターとしての顔も持つのが特徴だ。

そんな駅舎の駐車場に新しくシールドが描かれたと聞いたが、3年間も帰ってきていなかったブランクもあり、すっかりご無沙汰になってしまっていたが、ようやく今回ご対面 🤩

駅舎中のビジターセンターにも立ち寄ってみたが、お客さんはほぼゼロ。ずっと電話対応に追われて?いる係員のお兄さんだけが忙しそうだった。

そして、もう一つ。駅の南に位置するこれまたクラフトビール屋さんの建物に描かれる、Mural いわゆる「壁画」だ。
およそ 1 ブロックほどの長さの壁画を見ないなんてことがあれば、フラッグスタッフに寄った意味も半減するよ?、というぐらい価値の高いもの。
壁画には、クラシックカー、フラッグスタッフの歴史的なインディアン・パウワウ、地元のルート66のアイコンなどが描かれており、最近ではルート66の旅を記録するための素晴らしい「自撮り」の背景にもなっているとか。今回ここに載せるのは、私が取り分け気に入っているミュージシャンの部分。全体像は是非自分の目で確かめてみよう!

とか何とか行ってるうちに時間が来たので、そそくさとマザーロード・ブリューイング・カンパニーへ移動。前回来た時にはなかった手作り羅針盤のお出迎えに、建物の外でもゆったり飲めるスペースも拡張されていて、パンデミック後にしっかり備えたのが伺える。

それ以上に中はすっかりきれいに早変わり。前は「ビール作り始めました~、一生懸命やってますよ~」っていう苦労感と頑張り感のある色気も何もない工場だったのが、テイスティングできるバーカウンターを一新しmお土産コーナーも充実させ、時間の移りを感じる光景に。彼らが成功しているのなら嬉しいしそれに越したことはないけど、何となくまた「昔はね~」っていう歳喰った自分がいるのが嫌になるね。

まあ、時間との戦いの上、運転もあるので飲酒は軽めに。久しぶりの雰囲気を味わって、彼らの繁盛を喜び、店を後にキングマンへの帰路に着くことにしよう。

アリゾナ・ルート66 小旅行(中編)了


とにかくセリグマンへ~アリゾナ・ルート66 小旅行(前編)

5月、快晴の朝、ヘンダーソンを出て一気にアリゾナ州へ。今日の宿泊はキングマン、と既に決まっているので、まずはフーバーダムを越えてUS 93号線を南にキングマンまで走る。その後はキングマンからどこまで行けるのか、は着いた時間次第ってことになるが、本音を言えばウィンスローまでは行きたいと出発時点では思っていた。

ところで、いきなり話はルート66から逸れるが、この日給油をする際に停まったガスステーションの店舗内で面白いものを見たので紹介したい。

2022年、今年は私達米国市民にとっては重要な「中間選挙」というものが秋にある。中間選挙は、大統領選挙から 2年後に実施される議会選挙で、
4年毎の大統領選の中間年に行われるのでこのように呼ばれるものだ。
アメリカ議会は上院と下院の 2院制で、中間選挙では、下院の「全議席」と上院の 1/3 の議席が改選される。もう少し細かく説明をすれば、下院は各選挙区から議員 1人を選出する小選挙区制で、各州への議席の割当ては
10年ごとに実施される国勢調査によって決まり、一方上院議員は人口数に関係なく各州 2人と決まっており、州は全部で 50あるから定数は 100議席となる。選挙日は 11月最初の月曜日の翌日、「火曜日」と決まっており、今年は11月 8日となる。中間選挙は現職大統領と与党の過去 2年間の「政治に対する信任投票」、の意味合いが強く、有権者の支持具合が明確になるので 2年後の本番、大統領選の行方を見通す重要な選挙という位置づけだ。

ご存じのように現在の大統領は第 46代大統領、民主党の ジョー・ バイデン氏であるが、少しご高齢のため、再選にはクエスチョン・マークだ。民主党候補の後任は今の時点ではわからないが、多数の問題を抱えるトランプ前大統領は 2024年の再選に向けて虎視眈々とそのチャンスを狙っていると報道されている。

アリゾナ州は伝統的に共和党が強いが(すなわちトランプ氏所属の党)、近年民主党の勢力が徐々に高まっており「接戦」の繰り広げられる州となっている。が、やはり共和党は根強いのか、そのガスステーションにはこのような商品が並んでいた ↑ 😮

入口横のゲーム機が数台あるところにも、何と ZOLTARが 💦こんなものまで作ってしまうほどトランプ氏はまだまだ人気があるというわけだ。

因みに ZOLTAR とは、簡単に言えば「占いマシン」であり、コインを入れることで、その人の将来を予言したカードを出してくれる娯楽の一つ。ビデオ・アーケード(ゲームセンター)等でよく見かけるもので、たぶん皆さんの記憶の中で一番有名なものは、1988年に上映されたトム・ハンクス氏主演の映画「BIG」で登場したものではないだろうか。

A scene from the film “BIG” ©21st century fox

話を戻して 93号線を下ろう。「今回はあまり起こらないことが起こった」と、前のコラムで書いたが、昨日の今日で 2日連続で渋滞に巻き込まれた。私は比較的長距離運転をする方だが、天候や事故が原因による渋滞にあまり巻き込まれた覚えがない。だがしかし!今日はこれだ。砂嵐・・・

高速の脇はこんな感じ・・

結構前が見えなくなるぐらいの強烈な砂嵐に出くわしたので、上のような撮影ができるのはかなり収まってからなのであるが、多少は状況伝わるだろうか。10㍄程度でノロノロ運転しないとマジで怖い感じがして、そんな楽しくない時間が 2時間近く続いたんだよね・・・
で、予想通りこういう事故が起こる。そんなに時間がかかったのもこれが原因かと。

せっかく早く出て、今日はどこまで走れるかな?と期待していたワクワク感は一気に消沈してしまったよ 😰

そんなわけで、行ける距離がかなり短くなってしまったが、セリグマンは外せない。93号線からキングマンの街に降りず、そのまま一気に インターステート 40号線に入り、走ること約 1時間。セリグマンの看板がお出迎えだ。

この看板、結構人気がある。
ウエルカム・サインは街の東端、I-40 号線を降りてメインストリートに入って行くところにあるのだが、かなり凝ったデザイン?だよね。「歴史的ルート66の発祥地」と書かれていることで、いろんな議論も沸き起こることは否めないが、その主張は、セリグマンの街が I-40号線にバイパスされた後、エンジェルさんが中心となってセリグマンとルート66の普及に努めたことに基づくものだ。

ところで、今までセリグマン、何回来たかな?
I-40 号線の出口、121 と 123 と、ルート66を結ぶ、極めて小さいヒストリカルエリア内に、お恥ずかしながら今回「初モノ」に出会った 😰
今まで気づかなかったのはきっと新しくできたものだろう、と彼らのウェブサイトを確認すると何とビジネスは1993年から、と書かれているではないか。「BWEAR66AZ」という名の T-シャツ屋さんのようだ。グーグルマップ上でも「Worlds Largest Route 66 Sign」と、記載されているが、本当に世界最大の66の標識なのだろうか。まあ、話半分ということで・・・

さて、セリグマンもパンデミックを挟んでいるので3年以上来ていないが、自分の記録を見返すと、前回写真撮影をしたのは2017年となっている。そんなに長い間訪れてなかっただろうか?うーん・・・
でも街は変わらない。いつものセリグマンの中心通りが心を和ませてくれる。

ルート66が出来て96年。もちろん失われたものも沢山あるが、昔の姿を残していることはそうそうは変わらない。
そんな長く続く歴史遺産が、たかが数年で変わるわけもなく、皆元気な姿を見せてくれることに感謝の念は尽きない。

さてお目当てのエンジェルさんのお店だが、予想以上に街まで来るのに時間がかかってしまったため、エンジェルさんは日中のお休み時間に入ってしまったとのこと。
残念 😵‍💫とはいえ、95歳のご高齢。たかが私が訪問したぐらいでお店に来ていただくほど私は大した者ではないので、無理なお願いは遠慮する。砂塵と事故で時間がかかり会えなかったことは、ご縁がなかったことではなく、神様が再度セリグマンを訪問する機会をくれたということである。

ということで今回は久しぶりの再会を果たせて少しゆっくり話ができた、エンジェルさんの娘、Mirna (ミルナ)と記念ショット。

最近は The Women on the Mother Road にも登場し、精力的な活動をしている。パンデミックの間もただ座って終息を待つのではなく、その時にしか出来ないことに集中し、建物の壁の塗り替えから屋根の補修、そしてお店の中もきれいに改装してお客さんが来るときを想像して過ごしたそうだ。

そんな話をしていると何か外が騒がしい。
店の入り口から次から次へと人が入ってくるではないか!
JTBのツアーバスはもう来ないのに、と思って外へ出ると、何と欧州からのバイクツアーの面々だった。聞くとフランスだって。
まだまだ日本ではマスクする人が 100%近くいて中々パンデミックから抜け出せていない 5月に、マスクなぞどこ吹く風とばかりに誰一人とせず、集団でバイクツアーを楽しむ彼らとの間には大きな人生観の差があることを感じる。

さあ、では最後に変わらないセリグマンの街を一つ一つ確認しながら、先を急ぐことにしよう。

アリゾナ・ルート66小旅行(前編)了


【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.18:ルート66マラソンでシーズン締めを

私の友人の住むアイオワ州では紅葉の真っ盛りのようで、連日美しい写真が投稿される。一年でも最も素敵な季節になったようだ。
とうことは、ルート66のシーズンも終わりが近いということになるのだが、そんなタイムリーな話題をお届けしました。
スポーツの秋!を満喫できる、ルート66上指折りのイベントです。

ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月は、オクラホマ州タルサで開催される「ルート66マラソン」のお話です。記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/886/886.pdf

ネバダ州ヘンダーソン、新しい友人に会いに

3年ぶりの故郷凱旋シリーズ、今回はカリフォルニア州パサディナで一つお仕事を終えた後の近場、アリゾナ州とカリフォルニア州のルート66 巡りをしたお話を。
私自身のいる アラメダ、即ちイーストベイと呼ばれる地域から南カリフォルニア方面へ行こうとすれば、インターステート 5号線又は、もっと海に近い方を走るカリフォルニア 101 号線、そして超時間がかかるが完全コーストラインと化する US 1 となるのだが、「時は金なり」の考え方をすれば通常は一番目を選ぶ。しかし道が味気ないんだ・・・5時間程度で着くのは魅力的だけどね。

久しぶり、久しぶり、の連発で恐縮だが本当に久しぶりは語彙の少ない私には久しぶり、としか書きようがない。と言うか、きっと誰でもそうであろうと思うが、やはりこのコロナ禍で行動制限された3年間というものは人生初の体験であり、お初ものが連発することにはどうしようもない。

US I-5

そんな退屈極まりない味気のない風景の 5番線でさえ懐かしく、走っていても自然と口元が緩むのだ。途中レストエリアに入り用を足すだけでも何となく楽しくなるこの気持ちを分かってもらえる方はいるだろうか。

この旅に出る少し前に、前職の同僚と日本とアメリカの自販機の違いについて話し合ったことを思い出し、早速パチリ 📸
彼女は台湾生まれの台湾育ち。アメリカの常識?あるある?は、まだドラマの世界でのお話。早速この写真を送ってみたが、ゲージに囲まれ、鍵がかかった自販機と日本の高速道路のレストエリアにあるものとの違いに驚愕していた 😂

何を売っているかさえ分からない自販機はアメリカでも中々珍しいが。

さて、今日のゴールはネバダ州ヘンダーソンの街。ラスベガスの中心地から車で僅か 20分のベッドタウンだ。と、いうと実は怒られるかもしれない。この認識はあくまでも 1990年代半ばのことである。実際ヘンダーソンの街に着いた後で感じたことだが、当時あまり数多くなかったカジノも大きなものが数件以上建ち、しっかり立派に一つのカジノ街を形成するまでに至っており、現在はもはやベッドタウンではなかったのだ。

写真は、ヘンダーソンにある、立派なとあるカジノ。まだ平日なのか、時間が早いのか、人はまばらではあったものの・・・

ラスベガスと言えば(話はそれるが)時に1995年、私がロスアンゼルスにある某旅行会社に勤務していた頃の話なのだけど、メインの仕事は日本からのお客さんに提供する全米規模でのホテルと料金契約をすることだったのだが、当然ラスベガスは最も観光客の多い街の一つであり、私達の大きな収入源でもあったわけで。そんなラスベガスには毎日毎晩多くの日本人ツアー団体が入れ替わり立ち代わり。到着団体の空港出迎えからチェックインのお手伝い、オプショナルツアーへのアテンド等、数え切れないほどのタスクがあり、信じられないことに「ほぼ毎日」、ロスアンゼルスとラスベガスを 2往復していたんだ。😵‍💫💦

飛行機をまるでバスのような感じで乗っていたので、現地職員さんたちとも皆顔なじみで。たまに時間ギリギリになると「トシ、こっちから行け」と優先レーンでセキュリティを通してくれたりと、今では考えられない事情がまかり通っていた。懐かしいなあ。あの時代、やっぱり良かった気がする。スマホなんかなかったけど生活は充分快適だったよね。そんなわけで当時乗っていた航空会社には人生最速の半年ぐらいでプラチナメンバーに昇格したよ 😊

話を戻せば、そうそうヘンダーソン行き。実は今回あまり起こらないことが結構あったんだ。
街へ続く高速道路上で渋滞が。この辺りの事情をよく知っている人ならそんなこと当たり前、日常茶飯事だと思うだろう。もちろん私もそう思いながら比較的気楽に運転していたのだが、30分、1時間、1時間半、全く車が動かない。高速道路上には皆さん諦めたのか、車から降りて完全談笑する人たちの姿も。(この辺はさすが懐の広いアメリカ人である)
ある人が私に「一体どうしたんだっていうんだ?」と聞くが、私に聞かれても何とも答えようがない。

結局道路上に完全停止すること3時間半。その後ノロノロと動き始めて更に1時間。どうやら複数台を巻き込む大事故だったようで、その現場の真横を超低速で通過させられるのだが、大きく燃えただれたタンクローリーか、トラックか、事故の凄惨さを出していた。
今まで数多くの車事故を見てきたが、このサイズは稀有だ。
せめて誰も亡くなっていないことを祈りつつ先を急ぐことにした。

午後3時には到着予定だったヘンダーソンも、気が付けばすっかり夕方8時近くなってしまった。
今晩ご厄介になる友人をすっかり待たせてしまった上に、実はこの方と面と向かってお会いするのは今晩が初めてなのだ。事故渋滞に巻き込まれたとは言え、本当に申し訳なかった。

マイク木田さんは、元々NY在住の実業家さん。カラオケボックスをアメリカ社会に定着させた第一人者だ。カラオケ事業以外も、ウェディング、旅行。コンサルティング業等、幅広く事業展開をする、この一見私の人生と交わらないであろう、マイクさんに会えた理由も何を隠そう「ルート66」なのである。

Mike 木田さんとメキシカン料理で乾杯!

コロナ禍真っ只中のある日、私のNY在住時代にお世話になったメディアのお仕事をされていた O 氏より、彼の友人でアメリカの旅とルート66に詳しい人を探している人がいるから是非話をしてくれないかとお声がけがあり、二つ返事で快諾したことで、マイクさんと繋がることができた。まさに人脈は宝であるということを実感したひとコマでもあった。

初めて直接顔を合わせたわけだが、さすがオンラインでは何度か対面しているため、全く「初モノ」感覚がない。これは良いことなのかどうなのか分からないが、大切なことは楽しい時間を過ごさせて貰ったということだ。初対面にも関わらず嫌な顔一つせず提供してくれた一宿一飯の恩は必ずどこかでお返しできればと思っている。

いよいよ明日はアリゾナ・ルート66に向かって出発だ。


オジサン二人のルート66旅⑤ (最終回)イリノイ帰路編

さて、ミズーリ州を爆走して最終シカゴへの帰路。再度セントルイスに宿をとることも考えたが、都会の費用はどうにも高い。
アメリカのホテルは部屋単位の料金制なので、二人で宿泊すれば安上がりに済むが、一人で泊まるとなるとただ単に寝床を確保するという意味では無駄なお金がかかるだけだ。
なので、セントルイスから北に更に60㍄ほど、小 1時間頑張って夜のドライブをし、Litchfield (リッチフィールド)の街で休むことにした。
懸命な読者の皆さんなら、あ!アリストン・カフェのある街だ!とお気付きだろう。残念ながら営業中には到着できなかったが・・・

リッチフィールドのカフェ前通り

翌朝、早いうちから朝飯を食べてさっさと帰路を走ることに。
上手く行けば午後のホワイトソックス対カブスのシカゴ・ダービーが見れるかも?とこの時はまだ考えていたわけで 💦

惜しい。実に惜しい。なぜ一文字足りないのだ。
「H」さえ入っていれば、友人皆に「オレ、店をオープンしたんだよね~」と自慢できるんだけど 😂

この TOSI、苗字か名前かは分からないが、ちょっとリサーチしてみたら、実際世界何か国かで存在するようで、最も多く使われているのが何と、イタリアのようだ。その中でもサンマリノ共和国ではそれなりに存在するらしい(サンマリノは正確にはイタリアではないが)。
因みに「トシ」の姓名が最初に認識されたのは、トスカーナ州ピサ県の県庁所在地であるピサだそうだ。でもイタリアでこの綴りとなると、何となくイメージはシチリアであったり、カンパーニャ、プーリア、又はカラブリア州等の南部であったり・・・ピサかあ。

ま、余談はさておき、私はどこへ行こうが、朝食べるものは特に変わらない。これが人間の習慣というものだろうか(単に自身の好みを人間と大きな括りで言ってみた)。

早朝のせいか、人はまだおらず。値段が安いのが、このインフレ時期には嬉しい。ゆっくり、安く、普通に美味しい朝ごはんを希望する方、おススメ 👍

さて朝食後は、I-55 をそのまま北上すれば、スプリングフィールド、と手っ取り早いが、せっかく遥々やって来たイリノイ州。それではイリノイ・ルート66を走ったとは言えない。
ということで、少し北へ走ってから、州道3号線を西方面へに横断して、イリノイ州道4号線へと向かう。ひたすらこういう道を行くのだが、この4号線にはルート66の歴史を彩った街が多く点在する。

US-4 Illinois

最初にストップしたのは Carlinville(カーリンヴィル)という街。州道4号線を街に向かって走れば、ダウンタウンから南東にちょっと行ったところ、つまりはダウンタウンに入る前の通り沿い、左手に出て来るのがCarlinvilla Motel という中々キュートな感じのするモーテルだ。
残念ながら行程の都合上、このモーテルに泊まる機会は滅多になく、もう十年以上前に一度お世話になったきりである。
仲間うちからもとても人気のあるモーテルと聞いているので、経営が傾くことはないだろう。時間的にあまり車は停まっていなかったが、モーテル内部のフロアには何人か見かけた。ゆっくり寛いでいたようなので、内部の写真は遠慮。今回は外観だけで。

代わってダウンタウン「パブリックスクエア」と呼ばれる街の中心部はこんな感じ。ラウンドアバウトの周りには必要なお店が並ぶが、ゆっくり流れる時間がいかにも週末らしい。

Carlinville Downtown Public Square

今回は立ち寄る機会がなかったので特に触れていないが、昨晩の宿泊地はリッチフィールド。リッチフィールドと言えば、アリストン・カフェ、というのは先ほども書いたが、そのアリストン・カフェが営業を開始したのはリッチフィールドではなく、このカーリンヴィルだ。
ルート66の宝物の一つであるそのレストランの歴史はこのパブリックスクエアの一角にて始まった。そのことをきちんと記したサインがこちら ↓

アリストン・カフェの前オーナーであり、とても仲良くしてもらった Nick のお父様、Pete Adam 氏の名前がしっかり刻まれている。
うんうん、歴史を感じるなあ~と再度物思いにふけってスクエアでしばらく座ってみた😚

おっと!だいぶ時間が過ぎてしまった。
これでは MLB シカゴ・ダービーは間に合わない!が、やはりベースボールが大好きとは言え、ルート66のアイコンをすっ飛ばして行くわけにはいかない。複雑な心境のところ、実はこの後がこのルートのハイライト 🤩 の一つ。「13-star Flag Barn」で有名な、「ただの納屋?」だ。
カーリンヴィルを出て次の街、Nilwood に向かう途中、左手に現れる。

これね、アメリカ合衆国建国時の 13の★が入った最初の国旗。もちろんその当時に描かれたものではないにしろ、中々他では見ないとても貴重な白物である。最初に見たときからすっかり心を奪われ、通る機会がある度に無くなっていないか「生存確認」をする習慣がついている。

この星条旗、東向きに描かれているので、午前中に来ないとしっかり上手く写真が撮れないんだ。プロのフォトグラファーさんらは問題ないのかもしれないが、私のような素人には逆光はキツイ。だから午後にならないように注意してるのだよ。今回はしっかり午前中、大満足である。

大満足である、はいいが、この時点でまだここか~ 💦
昼前ではあるが、昼にスプリングフィールドにすら着いていないとやっぱり野球は無理か、とこの時点ですっかり諦める。仕方ない 😵‍💫

その後は、Girard、Virden、Auburn と、アイコニックな街を通りながら、一気に 80㍄を爆走、1時間超のノンストップで、アトランタへ。

アトランタの街を走るルート66は、I-55 号線の一本西をほぼインターステートに沿って走る。ダウンタウンの東端をぐるっと行くイメージであるが、いわゆるダウンタウンというのは Arch Street、そしてその隣の Church Street の2本ぐらい。街のアイコンである、Paul Bunyon の像が建つのは、前者、こんな風景だ。

週末とあてか、ダウンタウン内に殆ど人の影が見当たらない。最近復活したと聞いた Palm Grill も活気はない。。。

さて、その街のアイコンである Paul Bunyon、「バニヨン・ジャイアント」だが、前回街を通ったときは確か夜だったので、明るい陽の元でそのお姿を見ることができなかったが、今回はしっかり。
さすがに 19ft (約6㍍)もあると大きい。この像は元々シカゴに程近い、Cicero(シセロ)という街のホットドック屋さんの前に宣伝用として建てられたものだが、2002年、その店が閉店するにあたって、アトランタへ引っ越してきた。このグラスファイバー製の Bunyon 像については、以前 Gemini Giant の話をした時に詳しく書いたので詳細は省略するが、このアトランタにある像を含め、イリノイ・ルート66には合計3体あるので、興味のある人は是非追いかけて頂きたい 👍

そのバニヨン・ジャイアントの建つすぐ南側には、ルート66パークが。ちょっと遠めで恐縮だけど、写真奥の時計台は 1909年に建てられた年代もの。高さ 36ft (約 11㍍)の塔は「セス・トーマス8日時計」と呼ばれるが、それは8日毎に手巻きをしなければならないからである。

おっと、そんな話をしたかったのではなくて、今回アトランタに立ち寄ったのは、最近SNS上で知り合いになった、アトランタ観光局の代表、Whitney に会うためである。が、週末だし、こんなに街に人がいないんじゃ、観光局は開いているんだろうか。

やはり!やはり、である。観光局の入り口は真っ暗で鍵がかかっている。
「ま、仕方ないか」と、一旦はあきらめたのだが、街中で唯一オープンしていた Arch Street Artisans という骨董品やアート作品を扱うお土産屋さんに入ってみた。
店内にはお店番?の女性が一人座っているだけだったが、何やらお電話中だったので店の中をぐるっと見ながら通話が終わるのを待つ。

「こんにちは、何かお探し?」
「ああ、どうも。いや、特に何かってことはないんだけど。そこの観光局って今日はお休みだよね」
「そうよ。何か私で分かることであれば」
「実は Whitney って人に会いに来たんだけど、やっていないんじゃ仕方ないね」
「そうなの?Whitney ならきっとイベント会場にいるわよ。さっき見たから。」
「え?イベント?どこで何の?」
「ここからフリーウェイの方へ走ったら Dairy Queen のお店があるけど、分かるかしら」
「ああ、知ってますよ」
「あら、すぐわかるなんて唯の旅行者じゃなさそうね(笑)、今日はそこでクラシックカーの展示イベントがあって、観光局主催だがら彼女はずっとそこにいるはず。行けば絶対会えるわ」
「そうかい、助かった。ありがとう!」
と、こんなやり取りの後、お礼を言って会場へと向かった。

おお、やってる。やってる。全部で30台ぐらいは余裕であっただろうか。
カラフルな車が青空駐車場一面に並んでいた。

で、そこのスタッフに聞いて会えたのが、Whitney Ortiz さん!
元気いっぱいの、如何にも観光局の人!という感じが気持ち良い。
長居はできなかったが、とにかく会えてよかった 😊
今回のテーマである「人に会う旅」が、また一つ実現した。

ルート66を走れば次の目的地は当然?Funks Grove ということになるのだが、今日はホリディウィークエンドの日曜日、友人 Debbie は不在と聞いていたので、Maple Syrup もすでに買い終わったので今回はスキップ。
ということで、Normal の街まで飛ばした。

Normal での滞在は、Sprague Super Service Station に寄って Terri に会うことだけだ。イリノイ州ルート66界では、2015年より「Miles of Possibility」というアカデミックなルート66イベントを開催しており、昨年2021年、パンデミックの中、バーチャル・カンファレンスが開催されたのだが、そこで登壇させてもらい、諸外国から見たルート66と米国文化ということで、日本を代表をして少しお話をする機会を頂戴した。
詳細はこちら!
https://www.toshi66.com/2021-10-26/

で、その登壇に関して声をかけてくれたのが、イベント主催者の一人である Terri だったというわけ。なので、あれから一年が過ぎてしまったが、直接フィードバックを頂く良い機会だと思い、今回ぜひ会いたかった友人の一人だ。

元々教育者であった彼女は相変わらず凛としながらも、優しい笑顔で迎えてくれた。イベントも今年は第 7回目、2022年はまた対面形式に戻るようだ。お仕事の邪魔かなとも思いつつ、お客さんが来るまでしばらく時間を頂き談笑。また何かお手伝いできればこの上ない幸せだ。

さてさて、今日の話は長めだが、もうこの時点では MLB がどうの、という話ではなく、夜までにシカゴ帰れるかな、というレベルになってきた 💦
陽が落ちるまでにもう2か所、寄って行きたいのだ。

これは「Memory Lane」、追憶の路とでも言おうか。中々詩人じゃないか、ミーも 😚
現在は散歩用のトレイルとして活用されている、正真正銘の1926年に開通されたときの、1 ㍄に渡るオリジナル・ルート66 である。
もちろん道路は一部舗装されたいる所もあるが、大部分がオリジナルのそれであり、我々愛好家には堪らない場所の一つなのだ。
と言いながら、実はあまり頻繁に来れていないのも事実。旅程上スキップしてしまう場合も決して少なくなく、前回来てからは10年近く経つのではなかろうか・・・

古い標識が所々に現れる趣向も何とも言えない。

今回は車を完全に脇に停め、少し時間を取ってゆっくり散歩してみた。
ベンチに座ってこの旧道に思いを馳せると、この夢のハイウェイを旅した人たちの微かな囁きが聞こえてきそうである。

ということで、本日最後の訪問地は、Joliet (ジョリエット)にある、Rich & Cremy、アイスクリーム屋さん。
残念ながら?着いた時はもう夕方 5時をすっかり回っていたので、街のハイライトである、ジョリエット旧刑務所も、ジョリエット地域歴史博物館もすっかり閉店。まあ、この辺りのものはいつも来ているので仕方ない、と嘯いて、お腹も空いているから腹ごしらえに一直線。

この店ってさ、いつも混んでるんだよね。今まで来たときに店の前にお客の行列が無かった時は無いから。
で、これが大体2回に1回の割合で注文する、Banana Split 🤩
こういうところで食べるアイスクリームは本当に美味しいよね!

さあ、シカゴまで残りは 40㍄、小 1時間ぐらいかな。もうひとっ走りだっ!(オジサン二人のルート66旅 終)

【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.17: ここは必見!カリフォルニア(後編)

前回、いや発行紙面で言えば先月になるのかな。普段あまり取り上げていないカリフォルニア・ルート66についてご紹介しようと。
今月はその後編、バーストウから先の州の終点、ニードルスまでを走ってみましょう。

ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はカリフォルニア・ルート66の往復旅後編です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/882/882.pdf

オジサン二人のルート66旅④ミズーリ帰路編

ということで、今回のイリノイ~ミズーリ旅の目的は「ほぼ」終了。
時間は午後3時近いので、今日はこの後どこまで走れるのかは分からないが、シカゴへ向けての帰路、出発だ。
このシリーズ②まで登場してもらった健さんはキューバより一足先に帰ったので、正確には「オジサン一人」のルート66旅に戻るが、その健さん、ニューヨークへの帰路は大変だったらしい。予約していたフライトは悪天候の為、キャンセル。セントルイスからシカゴへ飛ばされて、そのあとフィラデルフィアに行かされ、最終バスに乗ったとか・・・
うーん、やはり持ってるね、この男 😂
やっぱり今回シカゴからセントルイスにかけて天気がイマイチ優れなかったのは、健さんが理由だな。
その後の Gay Parita のイベントの天気を見れば、一目瞭然だ。

さて友人のディスりはここまでにして、先へ急ごう 💦
時間が押しているが、ミズーリ州内の2人の友人に挨拶だけでも!

まずは、Gay Parita から走ること 100 ㍄、Waynesville という小さいが、ルート66 の歴史に溢れる素敵な街。ここでギャラリーを営むのが、Jax Welborn。数年前に彼女がこの地で店を出したのは知っていたが、中々訪れる機会がなく今回が初訪問となった。

地元のアーチストの作品から、ルート66関連の作品まで所狭しと置いてあるが、さすが Jax、几帳面な性格ゆえかそれらも整然と配置されている。
こういうお店を営んでいる人たちは通常週末はお店を出れない。Gay Parita でのイベントも然程遠くはないが、仕方ないのだろう。思いがけずギャラリーを訪問できて一石二鳥?だ 👍

友人知人の作品も多数飾られているギャラリーを見ながら聞いてみる。「ねえ、将来的にさ、私がここに写真の展示させて、って言ったら受けてくれるの?」Jax は、快く「もちろん!」って 😊
それは嬉しい。私もいつかこういうギャラリーでお見せできるような写真を撮りたいものだ。最後に正面からの一枚で。

さて、お次は昨日会いそびれた Wheel Wagon Motel の Connie の所へ。
ウェインズヴィルより更に車で約 1時間、50㍄ほど戻っていく感じである。
細かいことだが、下の2枚の写真は昨日撮ったもの。もう時間は夕方5時を過ぎているので、夕陽がきれいに出ないと写真は「映えない」時間帯へと突入する。

いたよ、いたいた 😊 相変わらず元気のようで安心した。レセプションの横にあるお店も、宿泊客だけでなく、地元の人かな?訪れているお客さんも居て嬉しい。前回来たのはパンデミック前だから、ゆうに3年ほど時間は経過しているのだが、どの友人に会っても、全くそんなインターバルを感じない。昨今のSNSがこれに大きく寄与していることは否めないね。この3年間に何度か連絡取り合ってるしね。

このモーテルはいつ来ても本当に絵になる素晴らしい景観。1936年に “Wagon Wheel Cabin” として開業したが、2009年に Connie が買い取り全面改装、細かいアップデートをしながら現在に至る歴史のあるモーテルである。ルート66より100m以上中に入った部屋棟の前に広がるちょっとした空間が旅人同士のコミュニケーションも生む、私の最も好きな場所だ。
距離の関係から、今回(昨晩)は、レバノンに宿をとったので、ここでゆっくりする時間がないのが残念極まりない。
あ、これって我々州外の人間にとっては一つの大きな問題なんだよね。
ここキューバと、レバノンは僅か90㍄しか離れていないんだけれど、その両街に歴史的な素晴らしいモーテルがあるわけで。旅行に中々そんな時間をかけていられない州外者は、自動的にどちらかに決めないといけなくなる。毎月来れるものでもないし、頭の痛いエリアなんだ 😵‍💫

モーテルの中庭

さあ、ここからイリノイ州に向かってどこまで走れるか?
やっぱりセントルイスかなぁ、でも都会は高いからなぁ。。。

【付録】
時間に追われての今回の旅。
「生存確認」?だけするために停まった箇所を2,3ご紹介。
ミズーリ州ルート66にはまだまだこんな素敵な場所があるのだよ、健さん 😎

Devils Elbow
今回は、いつもあまりお見せしていない、デビルズ・エルボーの街の方を。 街に一つの Market?は、実は郵便局。行く旅に顔を見せると「おやおや、珍しいのが来たな。お前さんにゃ郵便物は届いとらんよ」と、揶揄われるのだが、残念ながらもうとっくに閉まっている時間 💦寂しい・・
デビルズエルボー橋はこのブログトップに。広角で撮ってみた。

で、下は橋を渡って向こう側にある Devils Elbow Inn。一時はバイカー客を中心に物凄い繁盛したのだが、現在改装中のためお休み。
壁一面にデコレートされていたブリキのサインやシールドが懐かしい。
いつごろ復活するのだろうか 😥

John’s Modern Cabins
1931年、Beatrice と Bill Bayliss 夫妻によって “Bill and Bess’s Place” としてオープンしたキャビン式の宿場。不況時代に高価なホテルに代わって、安いログ小屋式は人気があったそうだ。
今も名前として残っている Johnは、1951年にこのプロパティをUSD$5,000 で買った Lillian & John Dausch 夫妻に起因するものだ。
他のルート66の事例に漏れず、I-44 号線のインターステートが建設されルート66ふが拡張、迂回の歴史を辿ったあたりから、エリアは衰退。

聞くところによれば、1971年以来メンテナンスはされてなく、1960年代からバイパスされていることから、敷地は悲惨で修復が難しい状態にある。前を通る砂利道も走ることはできるが、途中行き止まりになっており、他の道から迂回して入ってこないといけない。
取り壊しと、それに反対する私達ルート66保存会のやり取りは続くが、今後の展開はまだ不透明なままである。

最後は、私が個人的に「異星」と表現するエリア、Hooker Cut。私と同世代の方々は Steven Spielberg 監督の名作「未知との遭遇」はよくご存じだろう。あの映画の撮影はワイオミング州のデビルス・タワー(おっ!デビルズ被りだ)だが、私にとっての未知との遭遇は、まさにここだった。
きれいに削られた岩山の間をまっすぐ走る片道二車線の道、そしてまっ昼間にもかかわらず、車がほとんど通らない静寂さ・・

話の始まりは1939年、欧州で第二次世界大戦が始まった後、アメリカの参戦が決まる翌年、米国陸軍は近隣の St. Robert の街に “Fort Leonard Wood” 訓練所を設置。砦の建設には多くの労働力と建築資材が必要なわけだが、これを運搬するのに、上のデビルズ・エルボーでは都合が悪かったわけで。つまり、山道は険しく、道の舗装は悪い。トラックの横転が相次いだことから荷物泥棒も増加。ルート66は “Bloody 66” という悪しきニックネームまで頂戴した。
で、そんな環境を一気に変えようとして1941年~42年にかけて行われたのが Hooker Cut という建設大工事。岩山を爆破して現存する「切通しルート」を造ったという場所である。ぜひ行ってみて頂きたい!

シールド補修イベント@Gay Parita (05.28.22)

さて、友人と別れていつものルート66 独り学習旅に戻った私は、キューバより更に南下してレバノンに一泊。「ミズーリ州のお母さん」Ramona の Munger Moss Motel で充電し、車で約 1時間ほどかかる Paris Springs に位置する、 “Gary’s Gay Parita Station” まで走る。
実はココが今回ミズーリ旅のハイライト。Gay Parita で行われる Shield Repair (RePaint) 即ち、ルート66 のマークを旧ガスステーションの前の道に「再塗装」する、ローカル・イベントに参加することが旅の第一目的だ。

前日に集合時間を確認したところ、「9時半あたりに来てくれれば大丈夫だよ」と、いう Rich の言葉に、それならばと、少し余裕をかまして Gay Parita の近くにある Spencer に寄ってみることにした。今まで何度も訪れている大好きな場所だ。スキップしても良かったのだが、よーく考えてみてほしい。パンデミックのおかげで再渡米するのに 3年かかったのだ。この地を訪れるのも自身の記録を辿れば 3年半になる。一体あの時点で誰がこんな状況になることを想像しただろうか。「次回」は必ず来るとは限らないのだ。この場所を見るのは今回が最期になるかもしれない。大切な友人達に次回また会えるとは限らない。このように考えると「その一回」はとてつもなく貴重な時間であり、体験であると改めて感じる。

ルート66を西へ走っていくと、道はゆるやかなカーブで左に曲がる。すると周りが緑に溢れる景色の中から現れるのが、この Johnson Creek Bridge だ。ルート66オリジナルの橋で、まだ国道として制定される前、1923年に架けられたものだ。この景色を見ると、何となくホッっとするのだが、分かって頂けるだろうか。。。💦🤔

橋を渡れば、その向こうは Spencer の街だ。街と書いたが、正確には Township 、つまりは地方自治体の運営する土地区画で、現在人口も 150人程度だそうだ。
この 旧ガスステーションが「街」の目玉で、現在では、きれいに修復された Phillips 66 のビンテージ品と、クラシックなオレンジ色の看板がある。開業当時のオーナーである Sydney Casey 氏は、元々あった理髪店、商店、カフェ、ガソリンスタンドで、旅行者をもてなしたらしい。

上の左側の写真、今まで自分でガスステーションと橋を一緒に撮ることって滅多になかった。なぜか?他の観光客の車が駐車するので、それらを一緒に写り込ませたくなかったから。でも今日は朝早いせいか他に誰もいない!チャンスとばかりにお初のアングルも撮れ、テンション上がってシャッター切ってたらつい思ったより長居してしまった!が、まだ時刻は9時20分。余裕である 😎

と、余裕を持って現地へ着いたら、何と、もう作業が始まっているではないかっ!そうだ、この時間にイージーな感覚、すっかりこの 3年間で忘れていたよ。いけない、いけない、ここは日本じゃないのだ 😵‍💫良い意味でも悪い意味でも「アバウト」なのだ。(私はこの方が断然気持ち良い)

今回このイベントの指揮を執るのは、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の “Roamin’ Rich” こと、Rich Dinkela 氏。このブログでは既に何度かご登場済の ルート66界の重鎮だ。
彼は何年か前にすでにこの舗道に一度シールドを塗ったことがあり、時が過ぎかなり劣化したことによっての今回の「再塗装」という運びだ。

先ずは既に路上に描かれているものの上に、彼が予め作成してきたパーツを合わせ、塗っていく範囲を設定することから始まる。

手順をよく理解していない私は、もっぱら彼らのやることを見ながらそのお手伝いに終始するのだが、せっかくの機会なので、認定もされていない非公式カメラマンとして幾つか記録をすることにした 😂
ではここで Rich の実際の作業も少し動画でお見せしよう。

出来上がった姿を少し遠めから。しばらくこのまま白い塗装を放置して乾かさないといけないとのこと。5月にしては今日のミズーリ州、天候が落ち着かないせいか、比較的湿気も高い。。。

という、ところで乾燥時間を待つ間、お昼+休憩という流れになる。
お昼は裏のパティオで皆でホットドッグにソーダ。久しぶりに会えた Gary や Richard に加え、SNSで繋がっていたものの今回初めて会えた Ed とランチからの談笑タイム。そうそう、こういう時間が Precious なんだよな。
(マスターカードかっ!)

そして午後は、塗装が乾いたことを確認してから、シールドの枠を当てはめて行き、黒い文字やラインを順に塗っていく。

そういえば、Gay Parita については過去にも何度か書いているので詳しくはふれないけど、最新?の画像はお見せしないとね。

いろいろな部分に手が加わり、きれいになってきたのが正面からもわかる。やはりパンデミックの 2年間、Barabara と George が一生懸命準備していたのが分かるね。

奥の納屋には Gary が長い時間かけて収集した多くのアンティークの看板やアーティファクトが所狭しと並んでいる。以前は埃っぽかったけど、そのあたりもきちんと並べられ、掃除もしたようで 😊

代わってこちら ↓ は、Gary が大好きだったクラシックカー。左はその名も「Gary」、1932年の 6速 International だ。右は「Larry」、1928年の同車である。カッコいいよね。

とりわけ一番驚いたのがココ!土産物の並ぶお店部分なんだけど、飾りつけも増え、きちんと椅子も直り、お店の中もかなり整頓されて商品の充実ぶりも増してきた。でも前来た時は、恐竜はいなかったような。。。

最後はここ。裏のパティオ?の奥の、プライベートスペースだ。こんな場所で毎日ゆっくり?できれば(お客さん来たらそうは行かないだろうけど)サイコーだよね。
ちょっと前までは私も「まだ」若ぶってたから、正直ここまで田舎になると生活して行く自信はなかったけど、今ならもう大丈夫 👍問題ないよ。
あ、ネット環境さえきちんとあればね 😉

そんなこと言ってる間に作業は最終章。黒で塗った後の色の境部分の細かい修正を施して完成に向かう。総作業時間、4時間ぐらいかな。

それでは完成したものをご覧あれ!

素晴らしい作品だ!
気になるのは、これでまた何年大丈夫なのだろうか?まあ、その時はその時でまた集まってやれば良いだけだけどね。

最後にまだ登場していない、Barb と George、そして久しぶりに会えた友人達とのショットでこのお話は終わり 👻

Page 1 of 36

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén

Translate »